どちらかといえば辛かった
辛かった
結構辛かった。
そんな感じでした。
皆さんこんにちは。パワーヒです。
私事ですが、先日新型コロナウイルスに感染していました。
特に面白いことがあったわけではないのですが、感染記を残しておこうと思います。
ちなみに感染源は家族から。コロナやろなぁでちゃんとコロナになったの不可抗力で草(なにわろ)
0日目
症状が出始めたのは午後からだったが、異様な寒気に襲われる。もうとにかく寒く、風呂に入っても寒いし暖房付けても寒いし毛布被っても寒いのだから大変。熱は寒気が出たその日から上がり始め、38.7度まで上昇。ちなみにこの日はifリーグの試合があったため、フラフラになりながら出場したら山本由伸投手を相手にすることとなり、フラフラになりながらサヨナラ勝ちした。すごい(自画自賛)。
なお、この日の夜が最も気が狂っており(熱にあてられて頭が変になっていた)、夢の中の自分と現実の自分を混同していた。夢の中の自分は何故かスポーツ選手で、「この鼻詰まりさえ取れればチームは逆転するはずだ…!」とか考えてた。アホ過ぎる。
1日目
朝起きたら39.1度。二度寝して起き直したら39.4度。草。ただ辛さがオーバーフローしてしまったのか、39度の割には体は楽だった。ただ「案外いけんじゃね?」とか思いながらトイレに行ったらおしっこが90度の角度で落ちていったため、本当に辛さがオーバーフローしているだけだった。
方々に電話し、なんとか病院に行くことになったのだが、片道15分の道が異様に長い。これは辛いから長いのではなく、時空が歪められて道が長くなっているのではないかと考え、「とっくにバレてんだぜ」と小声で言ってみたが効果はなかった。恥ずかし。
そんなこんなで、なんとか病院に着いたら辻さんが3人いた。「辻さん!」「はい!」「あっ下の名前は……」「辻さん!」「はい!」「あっ下の名前は……」「辻さん!」「はい!」「あっ下の名前は……」これを何度も繰り返した。新手のコントか?
抗原検査を受け、待合室で待っていると……「辻さん!」「はい!」「あっ下の名前は……」名前を呼ばれて診察室に入室。開口一番「コロナでした!」と満面の笑みで言われた。何がそんなに面白いんですか……? 近くにある薬局で薬を貰ったのだが、受け取りまでに寒空の下で15分待った。この15分間は人生で一番長く感じたものだ。キングクリムゾンがこんなに欲しくなる日が来るとは。
帰ったら疲労と熱で一切動けなくなった。飯食って寝た。
2日目。
朝起きたら38.3度になっていた。38度になっただけでめちゃ楽~!
調子乗って配信してたらみるみる体調が悪くなった。コロナに感染している時に配信をしてはいけない(戒め)。昨日できなかったコロナ感染報告をあちこちにして、謝らなくていいのに謝る一日を過ごした。夜は39度が出て、死んだ。
3日目。
ここにきて分かったことだが、39度前半なら全然動けることに気が付いた。39度後半ではさすがにきついが、39度前半ならサッカーできるレベルには活動レベルが上がる。これは大きな気付きだ。気付いても何も出来ないが。
いきなり喉が痛くなってきた。水もロクに飲めず、まるで灼熱地獄のような痛みだったが、喉が痛かったのはこの日だけだった。コロナは喉がやばいとめちゃめちゃ言われていたため、ちょっと肩透かしを食らった気分だった。いや別にいいんだけど。
4日目。
咳が出始めた。この日の夜がとにかく辛く、日々寝てるせいで寝れない&姿勢が固定される&寒気が強い&熱で、殆ど睡眠を取ることが出来なかった。熱のせいで思考もまとまらないので、「私は本当にコロナで苦しんでいるのだろうか本当はなんかこう不思議な力で狂わされていてそもそも私は存在しているのだろうか人間など所詮細胞と電気信号の集合体に過ぎず」とか考えることもなく、淡々と世を明かした。淡々と世を明かした経験は人生で一度もなかったため、ちょっと新鮮な気持ちになれた。
5日目。
苦しんでいた夜が幸いしてか、完全に解熱。
以降は熱が出ることもなかった。
6日目~今。
咳以外は症状なし! 特に後遺症とかも現在は感じられず。
コロナでは39度が出ても大分動けることに気付けたのが収穫でした。
ただまあ、異様に疲れやすくなった気はします。
体力が落ちただけかも。
Q.適応障害とどっちが辛かった?
A.コロナでも精神症状は出ました。
そういうわけで明日(1月28日)はビックサイトで東京eスポーツに出場します! 是非とも見に来てね!(オチ無し)
謹 謹
謹謹 謹謹謹謹謹
謹謹謹謹 謹 謹 謹
謹謹 謹謹謹謹謹
謹謹 謹謹謹
謹謹謹謹 謹謹謹
謹 謹 謹
謹謹謹謹 謹謹謹謹謹謹謹謹
賀
賀賀賀賀賀 賀賀賀賀
賀 賀 賀 賀
賀 賀 賀賀賀賀
賀 賀
賀賀賀賀賀
賀 賀
賀賀賀賀賀
賀 賀
賀賀賀賀賀
賀 賀
賀 賀
新 新
新新新新 新
新 新 新
新新新新新新新 新新新新新新新新新
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きさまぁーーーーーーーーーーッッ!!!!
――正直、調子は良くなかった。
いや待って、これもしかして言い訳? 言い訳だなこれ。今日調子良かったです!!!!!!!!(クソデカボイス)
……本日、くやさんが主催する、
の決勝トーナメントが行われました。
一週間前の予選を2位で通過(ここ重要)し、セミファイナルもなんとか突破。正直負けたと思ってた(小声)
そうして迎えた決勝トーナメント。1回戦も突破し、準決勝に進む。
相手はあらき選手。2020プロリーグからの付き合いであり、おそらく人生で最も戦った相手。
お互いにプレースタイルは分かり切っており、そうなれば繰り広げられるのは読み合いではなく、純粋な実力勝負。嘘です普通に読み合いしてました。
2度目になるが、正直調子は悪かった。これは予選からであり、ずっとしっくりこない感覚でプレーしていた。
そんな状態だったから、口では「試合楽しみ」と言っていたが、勝てる気がしなかった故の予防線だったのかもしれない。楽しみだったとは思うのだが、どちらかというと不安の方が強かった。そもそも大会の準決勝というのが不安の対象だし、調子が悪いのも不安の対象だし、相手があらき選手というのも不安の対象だし、何一つ良い要素はなかった気すらする。これもう負けだろ。
そんな不安に呼応するかのように、1回の表に先制ホームランを打たれてしまった。相手の調子は良さそうだ。大して僕はゴミカス。
「これは負けだな…」
そう微かに思ったのをよく覚えている。
そんな暗い霧に包まれたような気分のまま、1回の裏に向かっていく。
(ダメかもな。もうあらき選手に勝てる日は来ないかもな)
そこまで落ちていた。それほどまでに自信がなかった。
――1回の裏。自分でもビックリするくらいカーソルが吸い込まれて、スタンドへとボールを運んでいった。同点だった。この試合何度も見ることになる。同点になっていた。
持ち手の気分を否定するかのように、カーソルの動きが精度を上げていく。
調子は悪いと思っていた。それでも手はヒットを打つための動きを覚えていてくれた。
あらきくんには勝てないと思っていた。それでも脳は戦うための道筋を覚えていてくれた。
諦めていたのは気持ちだけで、自分の体のどこも諦めてなんていなかった。
何度も何度も戦ったあらき選手を相手にしたからこそ、自らの感覚が蘇ったのだ。
少しずつ、だんだんと投球や打撃が「いつも通り」に近づいていく。同点。同点。同点。
そうして戦いを進めていくうち、「終わりたくない」と強く思った。それは敗退に恐怖する感情ではなく、この試合が終わらないでほしいという、永遠を望む想いだった。
この試合に延長はない。同点だった場合は安打数で結果が決まる。勝とうが負けようが引き分けようが、どうしたって試合は終わってしまう。
それが辛くて仕方なかった。こんなに心地いい試合をしているのに、どうして終わらなければいけないのか。なぜずっと試合をやらしてくれないのか。
試合が続けばいいのに。幸せでも不幸でもないこの試合が。凄まじい喜びも深すぎる悲しみもないこの試合が。無いのだ。お互いの実力が拮抗しすぎて、喜びや悲しみに感情が振り切れてくれない。この試合が続いてほしかった。
いつしか、最初に持っていた不安やしがらみは一切なくなっていた。あるのは相手に立ち向かうための発想と、終わりたくないという固執だけだった。
同点。同点。試合が動いた。僕がホームランを打って、タイムリーを放った。
見ている人からすれば、パワヒの勝利が確定した。そう見えたかもしれない。
けど、そうは思えなかった。気持ちで負けていたわけではない。怯える気持ちもまったくなかった。それでも、このまま決まるとは思えなかった。
最終回。ここを抑えれば決勝進出。
2点差で、ランナー1塁。
投手は三嶋投手で、打席には浅村選手が立っていた。
……あらき選手との対戦で、よく覚えていたことがある。2年前のプロリーグの数か月前にあらき選手と対峙した際、彼が僕からホームランを放ったのだ。
最終回で、ハマスタで、
僕が勝っていて、
投手は三嶋投手で、バッターは浅村選手だった。
その時みたいだな。と感慨を得た。
投げたのはその日とは違う球だった。
あのころとは何もかもが違っていた。憧れだった人は姿を消し、ライバルだと思っていた人はまるで勝てなくなって、パワプロで皆を沸かせることは出来なくなっていた。
それでも――あの頃の僕も、今の僕も、きっとその場にいた。きっとあの頃のあらき選手も、今のあらき選手も、その場にいたのではないだろうか。
ボールが吸い込まれる。ミットへと。ボールが吸い込まれる。スタンドへと。
あらきの、同点ホームランだった。
安打数で決着はついた。結果は、僕の負けだった。
点数は同点だった。3-3で、同点。
絶対に負けると思っていた。その通りになった。負けた。その事実に変わりはない。
けれど試合前に想像していた負け方とは全く違った。いや、これは負けじゃない。
結果は負けだ。紛れもない負けだ。でも、引き分けだと思いたい。
負け惜しみだろうか。負けた悔しさを押し殺せてない、カッコ悪い感情だろうか。
きっと違う。負け惜しみではない。
試合は終わった。この試合の続きはどこにもない。
一つ謝っておきたいが、この考えはあらき選手へのリスペクトに欠けている。その点、本当に申し訳ないと思っている。あらき選手は間違いなく、全パワプロプレイヤー内で最強だ。
その上で傲慢だが、あらき選手が、そしてあの試合を見ていた人たちが、あの試合は引き分けだと思ってくれたなら嬉しい。めちゃくちゃ自分勝手なことを言ってるとは分かってる! ほんとにこいつゴミ! それでも、そう思ってほしいと強く願いたい。
もう一つ、リスペクトに欠けたことを書く。
決勝トーナメントに入るまで、「安打数で決着は良くないでしょ…」と思っていた。けど、今では全く違う。安打数勝負で良かったと本当に思う。あの終わってほしくない試合が、同点という結果で終わってくれたことが、たまらなくありがたいのだ。試合中は嫌だと思っていたのに、終わってみればこんなにありがたいことはなかった。ほんとにリスペクトに欠けてるなオイ。
ありがとうと。何度でも言いたい。
トーナメントを用意してくれたくやさんにも、戦ってくれた皆さんにも、そして何より、永遠にも思える試合を繰り広げられたあらき選手にも。
本当にありがとうございました。
願わくば、またこんな対戦が出来る日を。
遊撃手 右投げ右打ち
打率.296 7本 47打点 B9
いまみー!
・今回は完全オーペナ重視査定で行きました。
・「お前いつもオーペナ重視やろがい!」と言われそうですが、実は最近その辺りを考えずに適当査定しています。ごめんなさい。
・査定の話に移りましょう。特能無しでのミートC60のオーペナ打率は.240~.260くらいが平均になりやすく、(あくまで検証しての所感ですが)その上で対左Aの効果は打率.015~.020程度。つまり、ミートC60+対左Aにしたとして、予想される平均打率は.270程度しかないわけです! めんどくせぇ!
・というわけで打率.296に近づけるために固め打ちと流し打ちを追加し、ミートを微調整。多分これである程度平均.296に近づいたと思います。
・そんなわけで、今作はペナントが異様に投高なこともあって、オーペナで再現するには結構能力を盛る必要があるわけなんですよ。それもあってオーペナをあまり重視せずに査定をやってました。
・ちなみにオーペナがどれくらい打低になってるかを村上選手を用いて証明出来ればと思います。乞うご期待。
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