その友情も。
その罪も。
その命も。
いつまでも。
ちいかわ映画…よっ、良すぎる…ッ!
皆さんこんにちは。週に3回はカレーを食べるパワヒです。
もしかして観に行ったのッ?
”劇場版”!
観に行きました。しかもIMAXで。
ちなみに私は原作履修済のちいかわファンなのですが、今回は私と同じく、ちいかわ履修済みのフォロワーと一緒に行ったんですけど、
そのフォロワーは島二郎のエプロンを付けて映画館に突撃していきました。何を考えているんだお前は。

なお平日・午前中のIMAXということもあり、そこまで人でごった返しているような状況でもなかったので貝汁カレーの歌が響き渡る状況にはなりませんでした。命拾いした……な!!
それとこれも余談ですが、映画前日に『明日ちいかわの映画を視聴する』という話を職場でしていたんですよ。
50%くらいの確率で「90分も何をやるの?」という反応でした。
99分でも足りないという事実にちいかわファンは涙が止まらないんだよ。そしてお前もちいかわファンになるんだよと伝えておきました。
映画の出来は…
大して不安になる所が…
ない…パタン
原作未履修/映画未視聴勢の皆へ。
こんなところに居るんじゃない。さっさと映画を見に行け。
「ちいかわの映画なんて観に行きたくないんだよォーッ!」という人は、
この質問に答えてください。
今ここで死ぬか
永遠の命を得るか
どっちか考えてください。
自分は太陽異常性愛者なので、太陽の赤色巨星化と共に一緒に消え去りたいから後者を選ぶ可能性が高いと思うんですよ。太陽異常性愛者って何?
では次の質問です。
今そこで大切な人を見殺しにするか
永遠の命を大切な人に与えるか
ちいかわの映画の内容は、さっくり言えばこんな感じです。
ここが映画の根幹と言われれば怪しいところですが、確実に幹に辿り着いてはいます。
そういう話がちょっとでも興味がある人は映画に行ってください。
それでも興味が出ない人は……
映画の大スクリーンに大男のケツが出てくるという事実を知ってください。そして大男のケツを見に行ってください。
分かったか。分かったら映画を見に行ってこい。そしてまたここに帰ってこい。
さて、ここからは完全にネタバレ感想となるので、まだ映画を見ていなかったり原作を知らない人はすぐに回れ右して近くの映画館を予約し、映画の余韻に浸りまくってください。
今のお前が持ってる『初見』は宝物だ。みすみす手放すんじゃない。
ちいかわ映画ネタバレ感想
えー、正直なところ、始まって1分で泣きそうになっていました。
いや、違うんですよ。別に『これから彼らに待ち受ける苦悶を思うと……ウッ』
みたいな『FF10最後かもしれないだろ泣き』ではなく、ちいかわが映画になったという事実がなんかウルっときてしまいました。別にちいかわ古参というわけでもないのにね。
そんなかんやでちいかわ達は出迎えの船に乗って島に辿り着くわけですが、島で焼きそばを食うくりまんじゅうのシーンが流れます。この時の『くりまんじゅうのテーマ』がアレンジされてて非常に良かった。映画にしか出来ないアレンジの仕方。序盤で流れていた曲が終盤でアレンジされたみたいな味がするよね。
でもこいつ、映画内だと酒カス仕草しかしてないんだよな……
冷静に考えると船酔いを酒酔いで相殺しようとするってバカの飲み方すぎるだろ。この人が原作だとある程度良識人寄りってマジ?
でも原作でシーサーにカルパスを与えたり資格のことを割と真面目に教えているような所はちゃんと年長者で好きですよ。年長者なのにシーサーに世話されているのはいいのか!?
そして極め付きはくりまんじゅうが島に来てすぐに焼きそばを食うシーン。
凄まじく陰影の濃い焼きそばが繰り出されている。
マジでそこの部分にどこまで時間かけたんだってくらい解像度の高い焼きそばが描きだされていてびっくりする。
ただナガノはご存知の通り、『食』と共に進んできた漫画家なので、飯の作画が良いのは当然の帰結かもしれない。
映画2回目を見る人はぜひ注目してほしい。焼きそばの作画に。
話は少し戻り、島に到着した際に『島のうた』が流れる。
たこ焼き~
すき焼き~
ケバブに~
テリテリソースの焼きそば~♪
通称『たすけてソング』。
この歌が、セイレーンverだけではなく映画全体を代表するBGMとして機能していたことに驚いた。聞き馴染みの良い主旋律をふんだんに活用し、時には緊迫感のあるBGMとして、時には勇ましい行進曲に。
やってることがサガフロ2なんよ。
タイラー、お前はちいかわの中のちいかわだな。
そのせいもあって映画を見終わって数時間が経過した今でも『島のうた』の主旋律が頭から離れない。そして頭の中で流れるたびに
「すき焼きだけなんか違くない?」
という感情にさせられる。屋台で出るすき焼きってなんだよ。旨そうだけど。
そして満を持してセイレーン登場。本当に声を出して言いたいんですが、
今作はセイレーンの『異質感』が本当によかった。
島編はよく島二郎が「なんかこいつ浮いてない?」と言われるが、セイレーンの浮きっぷりたるや凄まじかった。明らかに一人だけ雰囲気が違う。
まず音が違う。セイレーンが登場していない時のちいかわは比較的いつも通りのBGM、音響の使い方となっているのだが、セイレーンが登場するとボイスもBGMも効果音も全てギアが三速くらい上がる。セイレーンが出てくるたびに野生動物に襲われた人のドキュメンタリーを見ているような緊張感が劇場内にひしめいていく。
セイレーンという映画限定のキャラが話そのものに強烈な緩急をもたらしているという意味で、セイレーン周りの描写は非常に良かった。
そしてそれに対抗できる存在が同じく『異質』で映画限定キャラである島二郎なのは、対比表現としてめちゃくちゃキレているとしか言いようがない。
話が逸れてしまうが、ちいかわに置いて最大の魅力は『対比表現』にあると思っている。キャラ造形や露悪(言うほど露悪ではない)表現がよく取り沙汰されるが、個人的にはこれだ。
悲観的なちいかわと、楽天的なハチワレ。
傍若無人なモモンガと、気遣いの天才の古本屋。
力を謳歌するあのこと、元の体を取り戻そうとする真モモンガ(推定)。
当然対比表現はキャラクターだけにとどまらず、様々な場面に適用されており、そのどれもが巧みに練られており、こうした対比表現こそナガノワールドの妙だと思っている。
そういった意味で今回のセイレーンと島二郎も確実に対比として扱われており、だからこそセイレーンの災害度レベルの高さ、島二郎の善性がよく分かるようになっていた。これは映画製作側も、ちいかわの強みをよく理解できているからこそ成しえたことなんじゃないだろうか。
……と、ここまで大真面目に書いているが、
そもそも島二郎ってなんだよ。
あいつ何者なんだ。ツイッターでは土着の神なんじゃないかという推測がされていた(セイレーンに”供物”をしていたという見方が出来るので割と好きな説)が、仮に神だったとしてもなんかちょっとおかしいだろ。お前ら土着の神がケツ丸出しでもいいのかよ。
それと島二郎三面図と揶揄されていた島二郎の初登場シーンだが、三面図が強化されてほぼ360°島二郎と化していた。
不満点と言えば、島二郎のケツがあまり強調されていなかったこと。もうちょっとしっかりケツを見せてくれてもよかった。いや島二郎のケツがスクリーンにでかでかと映っても困るけどさ。
映画を見た他の方の感想にもあるが、島二郎が出てきた時の面白さが異常だ。というか島二郎という存在自体がなんか面白い。なんでこんな面白い存在が超絶作画で描かれているんだよという気持ちになるし、最上嗣生のCVが合いすぎている。なんというか島二郎がすぐそこに居るかのような感覚になってしまった。
変な言い方だが、島二郎は限定キャラにも関わらずアンパンマン並みの定番感と安心感を醸し出している。常に期待通りの働きをしてくれるし、なんなら期待を超える働きもしてくれる。こんなんもう水戸黄門だよ(???)
閑話休題。
……時は飛んでキャンプファイヤーのシーン。
このシーンを語らなければ、この映画は語れないだろう。
今回のちいかわの映画はどこを切り取っても120点の出来だったけど、このシーンだけ採点不可能なレベルで神がかってた。
まずあの宴会場(?)の雰囲気づくりがめちゃくちゃよくできていて
戦勝祝いのはずなのにまたセイレーンが戻ってくるんじゃないか。
恐ろしいことが起こるんじゃないか。
みたいなちょっとした不安感が確実に残っていて、宴会場なのにまるで避難所みたいな雰囲気がよく出ていたように見える。
そんな雰囲気を緩和させるように、『今日の日はさようなら』が流れる。これに島二郎の声が乗っかっているのがまた良い。確かに支えてくれるような島二郎の歌声で、確実に不安が減っていくのがよく分かる。そりゃ出港時に『島のうた』が貝汁カレーの歌に変わっているよなという感覚にされた。
しかし、その集団の中でちいかわだけが別の思考を巡らせており、一人輪の中から離れていく……。
まず原作にはなかったちいかわがゆっくりとヒトハ・フタバの元に向かっていく演出が素晴らしかった。あの時にちいかわが感じていた様々な思いが、微かに生まれた隙間時間に詰められていた。
そしてちいかわとヒトハ・フタバが邂逅して、ハチワレが現れると同時にヒトハ・フタバの固く結ばれた手に気付く。
その時、ちいかわの考えと決断が視聴者側の全員に伝わってくる瞬間は最高としか言いようがない。
そして、このシーンもまたナガノ得意の対比表現となっている。
もしハチワレが同じ状況に遭ったら、ちいかわは人魚の命を奪うのか。
あのシーンまでは罪が連鎖して報復を繰り返す話だったけど、ちいかわがあそこで胸に秘める決断をしたからこそ、罪の連鎖が止まったという結果が生まれた。
兎にも角にも、このキャンプファイヤーのシーンは200点なんてものではない。もうぶっ飛んでた。ぶっ飛びすぎてて思わず泣いてしまった。それも一滴とか二滴ではなく、割とがっつり泣いてしまった。
当方は既に社会人となっている成人男性である。ちいかわは、とっくに社会人になった成人男性が大分泣く。そんな作品になっているんだ。
話が戻るけど、人魚○殺のシーンも相当良かった。
肉を食わされたフタバがヒトハに詰めよるシーンも加筆されてて旨味が増してた(ダブルミーニング)し、煮付けがちゃんと美味しそうで笑ってしまった。
でも撲○音。テメーは笑えないよ。
何あの重低音。音が重すぎるでしょ。
これは非常に個人的な感覚だが、ちいかわは『重さ』というのが重要な要素になっていると思う。
ちいかわとでかつよの質量的に違う重さ。
ちいかわ×ハチワレやモモンガ×古本屋の友情の重さ。
簡単に死ぬモブと、抗うネームドの命の軽さ/重さ。
映画内で目を向ければ、主人公側に対するセイレーンの音響の重さ。
そしてちいかわのファン層もまた、作品に対して見ている重さ/軽さが違っている。
そんな作品だからこそ、あの響き渡る暴行の音の『重さ』は、ちいかわという物語を凄まじくよく表していたのではないだろうか。
……あ
……あのさァッ
…ッ…あのねッ…
泣いッ……ッ泣いッ…
泣いちゃった…………永遠の命を手に入れるシーン……
自分でもどこが泣きシーンなのか分からなかったが、ヒトハ・フタバが指切りを交わすシーンで泣いてしまった。あまりにも指の震えがエグすぎる。あまりにも葛藤と絶望と、その中に光る微かなものを描写するのが美味すぎる。
この二人、あまりにも『人間らしさ』が過ぎる。永遠を誓ったはずなのにセイレーンの襲撃時に名乗り出ることもせず、にも関わらずちいかわを救う。二人で生きるはずなのに、逃げ出しきれずに近くの島に身を寄せる。あまりにも中途半端。あまりにも等身大。
永遠の命を手に入れて生物らしさなんて欠片もない二人が、こんな等身大な『生き方』をしているなんて、俺は、俺は……ッ!
うう…………
バーッ! バーッ! バーッ!
バーッ! バーッ!
バーッ! バーッ! バーッ!
バーッ!
バーッ! バーッ! バーッ!
目の中の水流、乱れちゃったネ……
最後にはなりますが、ちいかわというコンテンツは国民的に広まりましたが、まだまだ年数的には新参者の部類であり、更に発展する可能性を秘めたコンテンツでもあります。
そんなちいかわも当然永遠ではなく、終わりが来るわけで。ちいかわの成長に心を震わされるコトもあれば、ちいハチうさの友情が永遠に続いてほしいと願うコトもあるわけで。
そんな感情を、架空のコンテンツに揺さぶられる創作というものは、やはり人類に与えられたギフトではないだろうかと思うわけですよ。
願わくば、そんなギフトこそ”永遠”に近いものでありますように。黒い流れ星に祈っておきましょう。
了
平
極 限 大 陽







